みなさんこんにちは。
1番の趣味がゲームのいくもとです。
なぜ自分はこんなにもゲームが好きなのかを改めて考えてみました。
そうすると、自分の記憶にあること、親から聞いたこと、全てを考えても自分はゲームをするべくして成長していることに気がついたので面白おかしくまとめていきます。
生後1年と少し
なんと、この歳ですでに Nintendo 64のコントローラを握っている写真が実家にある。
その写真は、おしゃぶりをくわえ、服も着ずオムツのみの格好で写っていた。
この写真からわかることは、人間が生活するのに必要な「衣食住」の食と住を満たした上で、衣を捨ててコントローラを選択したということだ。
1歳を超えた頃からゲームとの距離はとても近いようであった。
しかし、写真の自分は64のコントローラを両端持ちしていたため、なんのゲームもプレイしていないであろうことがわかる。
また、おしゃぶりをしながら親父のゲームプレイを微動だにせずに凝視しているビデオも残されている。
初めて読めるようになった日本語はカタカナの「マリオ」だった。
幼年期
物心がついた頃、初めての誕生日として両親からNintendo 64の大乱闘スマッシュブラザーズをもらった。それも自分が欲しいと選んだそうだ。
買った店も覚えている。本通のモスバーガーの迎えにあったOZみたいな名前のおもちゃ屋さんである(遥か昔に潰れた)。
この頃からスマブラーになるべき人材であったことは間違いない。
休日はよくいろいろなところに連れて行かれたが、基本家でゲームしたいため、外出先では駄々をこね、帰りたいと言い、家に帰ってご機嫌でゲームをするそんなクソガキだった。
出かけている時、親父が「ソフトかうか!」といったときはゲームソフトだと思い、ワクワクドキドキしていたが、ついた先はソフトクリーム屋さんで激萎えした記憶もある。
親父には、スーパーマリオ64の開始時にマリオが言う、「It’s me Mario!」は「いっくみー(本名)マリオ!」と教えられていたため、もはやマリオ=自分と言う暗示をかけられていた。
お風呂から出る時の掛け声は右手を突き上げ、「いっくみー マリオ!」だった。
小学校時代
小学校の頃にもマリオのモノマネをしていた記憶がある。
よく行く温泉の露天風呂では、お風呂の縁の大理石風のところに水をかけ、お腹で滑る。
そう、これは「スーパーマリオサンシャイン」で目の前に水をかけてお腹で滑って移動するやつのモノマネだ。
ゲームキューブが発売されたこの時代は、自分の家は6年間溜まり場だった。
というのも、我が家は父、姉、弟、それぞれいろんなジャンルのゲームをするため、他の友達に比べクソほどゲームが増えていった。カービィのエアライドはなぜか2個あった。
我が家に来れば人気のゲームはもちろん、話題の新作ゲームもだいたい発売日に楽しめる(買ってもらっていたわけではなく、一年に1度もらえるお年玉を徐々に使っていた)。
ゲームの発売日には朝から「今日お前ん家で遊べる?あのゲーム買った?」みたいな感じであった。
逆に言うと、友達の家に遊びにいっても自分も持っているゲームが5個くらいあるだけなので、自分で友達を呼んでいた。
毎日友達を集めてゲームをし、時間が経つと親に外に放たれ、学校で野球をし、埋まってるタイヤの上で鬼ごっこをし、素晴らしい小学生だった。戻りたい。
高学年の時はネクソンのオンラインゲームにハマり、ここでオンラインの楽しさを知った。メイプルストーリーはちょっとしかやってないがテイルズウィーバーというゲームはめちゃんこやった。
中学校時代
この時代に「モンスターハンター」と出会う。友人がもっていたPSPの「モンスターハンターポータブル」をやらせてもらった時には自由度、かっこよさ、やり込み度、大人感全てに惚れ込んだ。
PSPは高価でお年玉で買うには二年分くらい必要だったので、貯まるまではPS2で一人コツコツやっていた。
PSPを手に入れた時には、友達とモンスターハンターに明け暮れていた。
それと同時に、怪しいバッテリーを使ってPSPをごにょごにょすると楽しいPSPライフが始まる()ということを知り、パソコンの知識を頑張って身につけていった。頑張れば色々やり放題ということで毎日うひょうひょしていた。
おかげさまでPSPのゲームもかなりの種類やった気がする。
モンスターハンターももちろん面白かったが、「パタポン」という神ゲーは一人でどハマりしていた。
早くスマホ版で出してくれパタポン。
3年頃にPS3も手に入れたため、この時代からFPS沼にズブズブハマっていった。
PS3の「バトルフィールド バッドカンパニー」からはじめた。本当にFPSはおもしろい。奥が深い。時間がめちゃめちゃ吸い取られて行く。ちなみに自分はCOD派ではなくBF派である。
ついでに受験前にはサバゲーにもはまり、夏休みは毎日川の横の森の奥のフィールドを開拓し、自分らだけのフィールドを作り上げた。
親が建築業の友達がいたので、電動ドリル、端材を持って行ってフィールドを作ってはサバゲーを繰り返す素晴らしい毎日を送っていた。
そして夜は家に帰ってFPSをするという素晴らしく健康的なサイクルだ。
なんと年越までサバゲー、FPSのサイクルで過ごしていた。
ちなみにスマブラXはあんまりやっていなかった。やっても周りの友人には負けないし、そもそも一緒にやる友人も少なかった。
なぜかインフルエンザにかかった時に投げ練、空キャン、無音ブラスターを練習したことで短期間で無駄に強くなった。
これだけゲーム、遊びしかしていないのに、学力は上から片手の指で数えれるくらいだった(後半は追いつかなかった)。大学のスマサーにはこういう人多そう。
中学ヌルゲー()。
高校時代
部活のメンバーにスマブラ好きの友人Hがいた。
そのこともあって部活のメンバーでゲームすることが多かった。
このころの友人Hはチンパン下スマピカマンだったため何のキャラ使っても負けなかった。懲りずに立ち向かってくるため、泊まり掛けで他の友人が寝た後、朝までぼこぼーこにしていた。
この頃からソシャゲが流行り出したりPS4が発売されたりといろいろ起きていたが、部活をそこそこ頑張っていたので忙しかった。
しかし、BF4が発売されてしまったため、寝る間も食う間もおしんでBF4をしていた。
学校が終わり、家に帰ったらPS4起動、その間に着替える、BF4のロード画面まで進む、ロード中にご飯を持ってくる、ご飯を食べながらウォーミングアップ、いざ出陣。こんな感じで微妙な時間もカットすることでプレイ時間を伸ばしていた。
友人とクランを立ち上げ、PS界隈ではなかなかの古株クランになるくらいには活動していた。
3年生になり、部活動の大会も残すは2回というタイミングで、よく練習試合をしていて仲の良い学校の部活と、全道大会出場権を賭けた団体戦があった。相手にはめちゃ強な人が一人いることもあり実力も均衡していてどちらが勝つか本当にわからなかったが、そこではなんとか勝利し全道大会出場を獲得した(旅行気分)。
そんなことよりその日の夜の旅館で、スマブラXでの大会と同じ形式で団体戦を行なったことの方が鮮明に記憶に残っている。
ここでは他のメンバーが2戦づつ取っていて、大将が勝ったほうが勝ち、という状況であった。
対戦相手は友人J、相手の会話を聞いているとなにやら強そう。
ファルコを一番使っていたが、相手が大してうまくなかった時のことを考え、なかなかに使っていたピクミン&オリマーを選択した。相手はマルス。
結果は、接戦の末負けてしまった。鮮明に覚えている。ピクミンが6匹いると思っていたが数が減っていて復帰をミスってしまうのだ。
地元に自分以上にスマブラが上手い人、がいることに驚いた。
それと同時に初めて緊張しながら負けられない戦いをし、楽しさ、悔しさを覚えた。
その時大学に入ってからも友人Jと戦い続けることになることは知る由もなかった。
大学時代
クラン活動していたBF4はPS4でも続けていて、交流戦、クラン戦などを頻繁に行いなかなかにガチっていた。
一度だけ開催された公式オンライン大会には、クランで出場したが、2回戦敗退。
薄々気がついてはいたが、パッドでいくら立ち回り、エイムを練習しても、マウサーのエイム力、近距離の強さ、振り向きの速さには叶わない事を認識し、徐々に界隈から身を引くことになった。
大学時代はFPSよりもスマブラがメインだった。
桜も咲き、時は4月入学式。着慣れないスーツを着た自分は、入学式後のサークル勧誘で、4年間()お世話になる先輩Eさんに声をかけられた。
「ねえねえ、人狼の会っていうサークルなんだけど人狼ゲームに興味ない??あとご飯食べまくる米会ってやつとか、とかスマブラとかもやってるんだけどさ」
そう声をかけられた5時間後くらいにはスーツ姿でGCコントローラを握っていた。友達、先輩ができるか少々不安だったのに加え、人狼ゲームも好きだったし何よりスマブラ好きだった自分はそんなサークル入るに決まっている。
入学式の集まりにはいろんな優しい先輩がいて、楽しくお話ししながら数人とスマブラをした。
地元の友達には誰にも負けない勢だった自分はまあそこそこ戦えたが、声をかけてくれた先輩Eさんと、後から参加した先輩Pさんは圧倒的に強かった。
同じ大学に友人Jが入学していることを知り、
「この大学にはめちゃんこつよいスマブラーがいるぞ、今度一緒に遊びに行こう。」
と、ほぼ初めてまともに会話した友人Jを、先輩たちとのスマブラ会に招待した。
そこでは友人Jも先輩には敵わなかった。地元の大学生はこんなにもゲームが上手いのか、と共に衝撃をうけ、共に妥当先輩として燃えていた(と思う)。
その年にはスマブラの新作(for)が発売、学校祭では、先輩方がスマブラ大会を企画、そこで一気にスマブラコミュニティが広がった。驚くことに、同大学には先輩方のさらに上をいく猛者が数人隠れていた。
自分は、大きくなったスマブラコミュニティをしっかりと形にしたいという思いから、先輩Eさんが自分を勧誘したきっかけである「人狼の会」を譲っていただき「スマブラの会」と名称を変えてスマブラサークルを設立した。
元々サークルという形があり、顧問もついていたため、面倒なこともなくサークルを設立することができた。
自分はもう学年も上の方であったのと、ダンスサークルでも活動していたため、部長は後輩Tに押し付ける形になった。
3年生の頃はコミュニティの拡大、サークルの設立もあり活動は非常に盛んであった。
放課後の活動だけでなく、学校祭でのスマブラ大会運営、他大学との交流()、地元にて定例の大会を開催(友人J主催)、札幌で行われている北海道大会に15人ほどで参加など、ただゲームをするだけではなく、色々なアクションを起こしていた。
↑大会史上最高に盛り上がった(勝手に)自分の試合
9:55に残り2秒で逆転勝利します。最後の一戦も逆転勝利
高校生の頃友人Jにスマブラで負けたことから始まり、大学の入学式で先輩達に出会ったこと、スマブラ好きの後輩達が増えたことで大学生活=スマブラとなっていった。
大学生活を一言で!と言われたら間違いなく「スマブラ」と答えるだろう。
社会人になって
社会人になり、新卒最速で家庭を持ち(自分調べ)、ゲームをする機会が大幅に減った。今でも週に何度かはゲームをしているが、毎日やっていた学生時代に比べると1/7くらいの時間だろうか。
そんな中、ハマったゲームが「フォートナイト」である。
このゲームは世界的に旋風を巻き起こしていて、もともと興味はあったものの、PS4が手元になかったのでやっていなかったが、Switch版が公開、面白さに気づきPS4を購入して本格的に始めた。
このゲームについてはすでに記事にしているのでこちらも見ていただきたい。
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そしてこの冬、12月7日には満を持して「大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」が発売される。
すでにウキウキしながらこの記事を書いている。
ウキウキしすぎて、Webサービスまで作ってしまった。このサービスについてはいつか記事にまとめようと思う。
まとめました。
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今後はスマブラに関する記事もたくさん書いていこうと思う。好きなことを発信するこのブログの趣旨に非常にあっている。
これからもゲーム好き社会人として、家庭第一、第二にゲームなライフを送りたいと思っている。
ゲームに対する批判について
この世の中には少なからず、ゲームに対する偏見を持っている人が存在するので自分なりに論破していく。
目が悪くなる
部屋を明るくして、画面から離れてゲームするということを守れば目は悪くならない。
成長期、発達期は注意が必要かもしれないが、
自分はあまり守っていなかった+ゲームたくさんしてきた+大学もPCばっか使っていた+仕事でも1日中PC
でも目が悪くなっていないので、おそらく遺伝が全て。
勉強しない
親がしっかり管理すれば問題ない。大学生はしらん。
自分は毎日ドリルを解いてからではないとゲームができなかったため、
家でのドリル→予習
学校での授業→復習
という勉強において非常に効率のいいルーティンであった。
ゲーム脳になる
数年前、「ゲーム脳」という言葉が流行し、ゲームのしすぎで脳が認知症状態になる、短気になるなどの症状が表れると言われたが、ニセ科学である。マイナスイオンと一緒。
症状はしつけが問題でゲームをやりすぎ、しつけがなっていないため、短気になる。
実際に多方面から批判され、言葉自体薄れていった。
運動をしなくなる
運動をしない人は世の中にたくさんいる。
人と関わらなくなる
それはゲームが原因ではなく、元の人間性。
もともと社交的な人は社交的にゲームに関わる。ゲームにはゲームでコミュニティがある。
アウトドアじゃない
それもその人の好き好み。
自分はアウトドア大好き。
会話がゲームばっか
…確かに。
家事しない
ゲームを隠して家事やったらやっていいよといってみよう。
家中が綺麗になる。
ゲームは高い
飲み会1.5回分くらいの値段と考えれば安い。
ゲーム好きはゲームのためなら飲み会くらい我慢する。
課金しすぎ
課金は負けではない。強くなるための手段だ by宇野昌磨
T字路でクリアリングする
自転車とかに絶対ひかれない素晴らしい立ち回り。
広めのコーナーでアウトインアウトをする
早く目的地に到着できる。
まとめ
スマブラ新作楽しみ。
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